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  • 2010.02.07 Sunday
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「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」〜その3

 先の記事の続き・・・。
 
実を言うと、私がやっているレーベル(エレクトレコード)では、マリア観音がまだバンド編成だった頃、バンドが自主独立的な活動スペースを持つと言う方法論を、既に実行に移していたのでありマス。
 
本音を言えば、この頃の出来事は私としてもあまり思い出したくはない心境なのデスけどね・・・。
(^^;)
 
あれは10年くらい前の事だったでしょうか・・・。場所は地下鉄丸の内線東高円寺駅から徒歩2分程度の距離にあるマンションの地下フロア。元々そのマンション自体が学生寮だったらしく、地下フロアには喫茶室、運動室、音楽室、バー・スペース等、それぞれの用途に合わせた作りと設備の部屋が数室あり、ハンドベル(←楽器)の会の会長がそこを一括して借りて練習やら公演をしつつ、その合間の空き時間を時間貸しで外部の人にもレンタルしておりマシタ。しかし夜は殆ど誰も使用していない事に私は目をつけ、交渉の末、毎日の深夜の時間を月極めで格安にて借り受ける事に成功したのデシタ。
 
また、ハンドベルの会長が名付けた、そのフリー・レンタル・スペースの「東高円寺文化フォーラム」と言う名前も、文化とは自分で作るものだと常々考えいた私にとって非常に共感するものであったと言う事も付け加えておきましょう。
 
そしてバンド・メンバーのうち数名はそこに連日泊まりこみで個人練習を、そして週に数回はバンドでのリハーサルを行い、更にPA機材を購入して月に1〜2回はそこでバンドのライヴや各メンバーのソロ・ライヴを完全に自主企画で行っておりマシタ。
 
しかし、そのマンションは競売物件だったため、私達がそこを借りてから2〜3年くらい経った頃でしょうか?そのビルの売却先が決まり取り壊す事になったため、バンドは自主独立活動の拠点を失い、再びライヴハウスに出演する事となりマス。
 
そもそも、普通の練習スタジオを毎日4時間以上も借りたら、月間どれだけの費用が必要か?・・・バンドをやってる方ならお解りかと思いマス(←しかも、そんなに練習ばっかしてたら、生活費を稼ぐための仕事やバイトする暇すらなくなるのデスよ)。そこで「東高円寺文化フォーラム」無き後、私達は毎日使える練習場所を確保すべく奔走し、埼玉の山奥にある廃校になった幼稚園を、その辺り一帯の文化活動を仕切ってる方の力添えを得て借り受ける事が出来たのデスが、その直後に肝心のバンド自体が解体してしまったため、その様な自主独立的な発想に基づく活動は、そこでストップせざるを得ませんデシタ。
 
おそらく、金さえ払えばいつでもライヴが出来る環境の下に育った最近の若い人には想像し難いでしょうが、当時(10年前)はライヴハウスの数も今よりも遥かに少なく、出演ノルマ云々以前にテープ審査初めライヴハウスに出演する事だけでさえ困難だった時代デス。更には、今でこそたくさんおりマスが、(内容や質とは無関係に)メジャー・デビューもしてないのに30〜40才過ぎてもバンド活動を続けていられるなんて夢と言うかそれは在り得ないと言った状況認識が当たり前デシタ。だからほら、最近昔のバンドの再結成ブームってあったけど、中には数年振りに楽器を手にした人も居た訳で、何故彼らが一度音楽をやめなければいけなかったのか?って事がそれを如実に物語っている訳デス。今の若い人達は「売れなくても、仕事しながらこのまま一生バンドを続けたい」ってな漠然とした目標も容易に抱けるでしょうけど・・・。
 
当時は、音楽で飯を喰うためにはメジャー・デビューしてどっかの事務所に所属し、しかも人気(動員=売り上げ)がなければ駄目で、そうでなければ少なくともプロとして通用する技術を持たない限り絶対に無理だ・・・と言うのが一般的な常識デシタ。
 
あるいは資産家、もしくはジャガー氏(実業家)みたいな人なら別デスが・・・。

よって、そんな浮ついた人気や流行なんぞに左右されず、そして信念を曲げずに活動を続けるためには、“自分達の場所を持つ事”以外には有り得ない・・・と私は考えていたのデス。

しかも、それにも増してマリア観音と言うバンドは、表層的な人気獲得のためのプロモーション活動は殆どせず、持てるエネルギーのすべてを“音楽の質的向上”のみに注ぐバンドでしたので、既存の練習スタジオを週に何回か借りて仕事と両立出来る程度にバンドのリハーサルを行う程度ではとても時間が足らず、かと言って連日入れば金が続かないゆえ、予算を気にせず日夜リハーサル出来る場所の獲得は絶対必要条件だったのでありマス。
 
実際に当時のライヴを観た方ならお解りかとは思いマスが、そこまでやらなきゃ、あそこまでトゥー・マッチな演奏なんて出来マセンよ。
 
あと、その少し後くらいに発売されたマリア観音/木幡の雑誌インタビューを読んで頂ければ、その時期のバンドの内部事情については、おおよそ理解出来るかと思いマス。
 
ともあれ、先に述べた通り、ロック・バンドが上っ面の人気に頼らずビジネスとして成功するためには、確固たる個性の確立や技術の獲得はもちろんの事ながら、そう言った自主独立的な活動をすべきだとの信念が私にもありマシタし、何も偉そうにこれが正しいとか間違ってるとか言うのではなく、ただ単純にそちらの方が「カッコ良い」と思っていたし、仮にもロックやパンクを好きな人は皆、絶対にその考えに賛同してくれるはずだとさえ思っておりマシタ。・・・いや、マジで。
 
新しいアイデアもなければ独自の思想もなく、ましてや音楽的技術(←私はこれをあまり重視しないが、二番煎じのバンドはこれがないと絶対に駄目)もないバンドが蔓延り音楽活動をし続けられるのは、音楽を愛してもなければ自らの価値観で音楽の良し悪しを選別する能力もないくせにノルマ制によって安定した経営を約束されている金さえ払えばどんなバンドでも出演させる商売第一主義のライヴハウスの乱立に、その一因がありマス。(オーナー自らがライヴ終了後に店内掃除をしている様な店もあれば、オーナーが雇われ店長に経営ノルマを被せて自分はどっかでワイン・グラス傾けてる様な店もあるって事デス。)
 
しかしながら、やはり立地条件や認知度含め、設備や環境の整ったライヴハウスの方が観客を呼びやすいのは事実であり、「東高円寺文化フォーラム」で行っていたライヴの動員は、ソロで5〜10人、バンドで15人〜25人くらいが限界デシタでしょうか。(当時、あんな寂れた場所にわざわざ足を運んで下さった方々、本当にありがとうゴザイマス!!)

・・・とは言え、ワンマン・ライヴに拘って外部のゲストなど殆ど呼ばず活動自体が閉鎖的になってしまったと言う事も、その様な活動方針やその存在意義を世間に知らしめ認知させ得なかった原因のひとつであったとは思いマス。

あとまあ、あの頃はインター・ネットも普及しておらず、ましてやmixiなんてなかったから、バンドと世の中の橋渡しをすべき役割のこの私が人付き合いも苦手な上に、しかも若さゆえの独善的な考えに凝り固まっていたため、自分の意見を世間に向けて広く発信する方法や他人を説得する能力に欠けていたと言う点も、素直に反省すべき点ではありマス。今なら、もう少しは上手くやれたかも知れマセンが・・・。
 
(ただし、エンターテイメントの分野は除外するとして、「作品を生み出す人がその作品を創作している瞬間は絶対に独善的であるべきである。」・・・と言う考えは今でも変わっておりマセン。)
 
それが悪いとは言わないけれど、最近のライヴハウス・シーンは、自分が求める理想の音との出会いや、まだ知らぬ未知なる刺激を求める以前に、“友達付き合い”が優先されてる様な部分が多々ありマスからね・・・。
 
ライヴハウス及びそれに近しい形態の店が増え、どんなバンドでも気軽にライヴをする事が出来る様になった現代。ある意味、音楽が“娯楽の一種”として市民権を得たって事の証明なんでしょうから、それはそれで良い事なのでしょう。
 
★今回は手前味噌な話題が多くて、失礼イタシマシタ。m(_)m
 
(つづく)
 
<追伸>上記の考え方は、基本的に今も変わっておりマセン。この様な私の考えにご賛同下さったビルのオーナーさんで、地下のスペースを無駄に遊ばせてる方がおりマシタら、是非当方までご連絡下サイませ。m(_)m

その4
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=11

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