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「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その12

さてここまで、あまりにも無茶振りと申しマスか、理想論に過ぎないと思われても仕方のない事ばかり述べさせて頂いた訳でゴザイマスが、それらは一重に、現状に満足出来ず何とかそれを打開したいと考えている同志の方々へ向けた切実なるメッセージでありマシタ。ゆえに、多少刺激的な発言も織り交ぜられていたかとは存知マスが、平にご容赦下サイませ。m(_)m
 
私は何も、友達を集めてライヴ・ハウスでパーティーをやる事を否定している訳でもなければ、ライヴ・ハウスに出演する事自体が最終目標である様な若い子達や、仕事と両立させながら趣味で音楽活動をしたい方に対し、ああしろこうしろと言ってる訳ではありマセン。それで満足出来る人は、構わないのデス。それはそれで必要な事でしょう。娯楽の種類は多いに越した事はありマセン。
 
しかるに、やはり課題となるのは音楽を仕事にしたいと考える人の存在であり、時間とお金さえ許せば音楽をもっともっと質的に向上させたいにも関わらず経済的な足枷がある事によってそれが叶わず、それが直接の原因であるかどうかは別として、集客を増やす事さえもままならないと言った状況の中でジレンマに陥ってる事に対し、私は非常に歯がゆい思いをしているのデス。
 
よって本音を言うなら、出来ればそれらをきちんと線引きするか、せめて住み分けをして欲しいと考えている訳なのでありマス。
 
そもそも、友人や身内・・・すなわち自分の事を少なからず肯定的に見てくれる事が前提である人達の前で行う表現行為と言うのは、基本的に厳しいジャッジの目にされされる事はない訳なのでありマスが・・・。
 
それに比べ、もちろん現在は友人や身内しか来てないかも知れないけど、自分が行っている表現行為の良し悪し、もしくは好き嫌いのジャッジを赤の他人に委ねる事・・・すなわち時には批判や嘲笑を浴びせられる事を覚悟の上で人前に姿をさらしている人達と言うのは、それこそ薄氷の上を歩く心境でステージ(舞台上)に立っているのでありマシテ・・・。
 
いえいえ、私は別に、だからと言ってそれを手放しで誉めろと言ってる訳ではありマセン。むしろその逆に、舞台上の人間に対して、観客の側はもっとプロフェッショナルな気持ちを持って臨むべきであり、極端に言うなれば、一度でも手を抜いたステージをしたなら、もう二度とそのアーティストを観に行くのをやめるぐらいの事をしなければ、観客を感動させたり満足させる事が出来る程の優れた技術を持つからこそ立てる場所であるべきステージ(舞台上)の価値や意義と言うものが、どんどん廃れて行ってしまうのではないか?・・・と。
 
そもそもライヴ・ハウスにせよ劇場にせよ、友人や身内の人間だけでなく不特定多数の一般客にも門戸を開いている舞台で出し物を行うと言う事は、自分の手がけた作品や表現行為自体はもちろんの事ながら、更に言えば「表現者としての自分の存在意義及びその是非をも世に問う事」・・・なのであるからして、ノルマ代さえ支払えば(orノルマ分だけの集客があれば)どんな酷い演奏をしても許される様な、そんな甘っちょろい場所であってはいけないはずなのである。
 
舞台の上に立つ者は、他人にお金を支払わせて恥ずかしくない出し物をしなければならないし、それができなければ速やかに舞台を降りるべきなのだ。
 
それゆえに、現在の様なお金さえ支払えば誰でも舞台の上に立てると言う状況は、舞台に立つ資格や覚悟の価値や意義を貶める要因でしかないのである。
 
ただし、プロフェッショナルかそうでないかと言うのは、経済的に成功しているのか否かと言う点のみで推し量れるものではない。何故ならば、プロフェッショナルな出し物が経済的にも成功するためには、それを認めてくれる観客の存在が絶対不可欠なのだから。
 
ゆえに、ライヴハウスがそれ(住み分け)をしないのであれば、本当ならば、観客こそがそれを見極め線引きしなければいけないはずなのであるが・・・。
 
何せ、これだけライヴ・ハウス及びライヴ・ハウスもどきが増えてしまい、しかも自分でお金を支払ってまで舞台に立ちたい人が後を絶たないとなれば、いくら「自分はきちんと選ぶから良いんだ」と言っても、真に舞台に立つべき覚悟とレベルを兼ね備えた表現者の所に、そうそう簡単に人の注目が集るとは思えないし、ましてやいきなり多くの集客が見込めるとは到底思えないと言う事は自明の理。
 
だから私は、しょっちゅう絶望的な気分になりながらも、経済的に成功していないがプロフェッショナルなアーティストもしくはそれを目指す気持ちがあり、なおかつそのために努力を惜しまぬアーティストやミュージシャンに対し、メジャーのレコード会社や営利第一主義の貸しホールがやらないと言うのであれば、ミュージシャンのサポートをする事を目的にライヴ・ハウスを経営している方々もしくは一般人であれども本当にミュージシャンを支援したいと考える人達こそが、彼らが時間とお金を気にせず創作活動やリハーサルに打ち込める様、経済的かつ物理的な足枷を外してやる必要があるのだ・・・と、再三述べているのでありマス。
 
そしてその暁に、売れてもいないのに演奏が異常に上手いだとか、客はこんなに少ないのに涙が出る程に素晴らしい音楽と言うものが、少しでも多く世の中に発信される事にでもなれば、それを観た人は必ずや、舞台に立つべき人間の資格や覚悟と言うものが本当はどんなものであるのかと言う事を思い知るはずなのデス。
 
結局、毎晩の出演者の頭数さえ揃えれば経営が成り立つノルマ制による経営方法だなんて言うものが、そもそもの間違いの元なのでありマス。何故ならば、ライヴ・ハウスもどきにとっては出演者が誰であろうと、どんな出し物であろうと全く関知する必要も責任もないゆえ、目先の利益さえ得られれば舞台の価値が下がろうが表現者の質が落ちようが、そんな事はどうでも良い事なのだ

かくて、
ライヴ・ハウスもどきは繁栄し、舞台に立つ人間の数は増え、それに伴って観客の絶対数も多少は増えたかも知れないが、それ以上に毎晩あちこちでたくさんの催しモノが行われている訳なのであるからして当然の如くその人数は分散し、出会うべきものと出会う機会は減少し、その挙句、本当に舞台に立つべき資格と覚悟のある人の出し物にはその内容と質に見合った集客の数が望めなくなってしまうだなんて・・・。
 
そんな馬鹿な話があるか!!
 
・・・って事。(TT)
 
(つづく)

その13
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