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  • 2010.02.07 Sunday
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「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その18

<緊急告知>「コンピレーション盤における誤植/収録楽曲間違いについてのお詫びとお願い」

ご迷惑をおかけして申し訳ありマセンです。先日完成したコンピレーション盤「DO THE INDEPENDENCE!!」において、誤植や楽曲の収録間違い等が発生しておりマス。只今、イベント・スタッフの側では、少なくとも東京でのイベントで正誤表を配布すべく訂正個所の情報収集を行っておりマス。よって、間違いにお気づきになった方は、是非とも訂正すべき個所をお教え下サイませ。なお、参加アーティスト様ご本人であれば、製作者から直接事情を説明させマスので、当方までお名前をお知らせ下サイ。あるいは一般の購入者様であれば、やはり直接もしくはお買上げになったアーティスト様を通して製作者から事情を説明させマスので、当方までご連絡下サイますよう、何卒ヨロシクお願いイタシマス。m(_)m

erectrecord●joy.ocn.ne.jp(←●を@に変えて)
 
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さて、ここからが本題。
 
え〜おかげ様で、昨日から大阪を皮切りにコンピ発売記念イベントが行われているのでありマスが・・・。
 
ところで先日、今回のイベントについて、とある友人から突然「これってどんなイベント?」と聞かれた際に、この(私にとっては)大掛かりな企画を、どうやって一言で言い表そうかと思案した後、瞬間的に私の脳裏に閃いたのが、以下の返答であった。
 
「う〜ん、三島由紀夫の切腹みたいなもんかな?それをこの業界の裏方である自主レーベルのオーナー5名でやるみたいな・・・。」
 
これは我ながら、今回のイベントの性質を良く表していると思う。
 
・・・とは言え、三島由紀夫を持ち出すとは、自分達の事をあまりにも美化し過ぎではないか?との意見もありましょう。
 
ならば、こう言い直そう。「これは、三島の切腹を無名人がやるみたいなもの。」・・・と。
 
ほら、たまにいるでしょ?鉄塔のてっぺんとかに登っちゃって怒られてる人騒がせなオッサンって。
 
その点、三島由紀夫は小説家で文化人で有名人だから、たとえそれが単なる愚行に過ぎなかったとしても長年に渡って語り継がれるし、何か深い意味があったのだろうと世間が勝手に権威付けしてくれるけどね。
 
ただ、三島由紀夫のみならず、鉄塔のてっぺんに登っちゃうようなオッサンにせよ、本人にしてみれば本当に切実なる思いや危機感があって、それを世の中に訴えたかったからこそ、あの様な暴挙とも呼べる行動を起こしたんじゃないかって、私は思うのデス。
 
だけど残念な事に、そんな思いって世間には通じないんだよね。
 
何故ならば要するに、実際には誰も困ってなんかいないし、危機感なんか抱いてない・・・って事。
 
・・・と言うか、むしろ恩恵を受けてる訳だから。
 
そもそも、現在の世の中のシステムや、現存する物質や音楽で満足出来る様であれば、大人しくお客サン(消費者)やってりゃ良い訳でさ。
 
更に、こんな身も蓋もない事言うのも何なんだけど、インディペンデント(自主独立)精神なんて、急に芽生えるもんでもないしね。
 
ある人にはあるけど、ない人はないままに一生を終える事だって充分考えられるって事。
 
それはあの派遣村の人達見りゃ一目瞭然で、リストラされず雇われて働いてる人だって、ある一定の要求をクリア出来る能力があったか、たまたま運が良かったに過ぎなくて、基本的に学校で教わる事(=国家の政策)なんかを真に受けて疑いもせず言われた事だけを正確にこなしたり覚える訓練を真面目にやってたら、自立心なんて絶対に芽生えようはずがないよ。
 
だから今回の様なイベントをやった所で(・・・ただそれは私達の力不足と知名度の少なさも関係してるんだろうけど・・・)、笛吹けど踊らずと言うか、少なくとも私個人としては結果的に借金の額をまた増やすだけの結末が待ってるだけでさ。
 
でもまあ、現状に不満があってそれを打開したいと思った場合、あるいは、今よりもっと楽しくなりたいと思った場合に、それを人任せになんか出来ない訳で、「それなら、自分でやるしかね〜か!!」・・・ってなると思うのね。
 
既に自立してる人は、言われるまでもなくその様に行動してるはずだし。
 
それに、その方が楽しいと思えるんだから仕方ないよね〜。
 
快楽ってのは自ら求めて得るもので、誰かから与えられるものでもなければ、苦悩や葛藤から逃れる事で得られるものでは絶対にないしね。
 
楽しくないこの世を楽しく・・・みたいな句?もあったよね。百人一首だっけ?
 
・・・って、良く知らないけどさ。
 
何にせよ、種子のない所に花は咲かないし、たとえ種子があっても芽が出る機会を逸してる場合もあるだろうし、たった一人でも、自分の力で何かを変えたいって思う人が出てくればそれでオッケーだし、そもそもパンク・ロックが担った役割って、まさにそれだったと思うしね。
 
人に“気づき”を与える・・・って言う。
 
・・・とまあ、そこまで大げさでも立派でもないイベントですけどね、仕事帰りにちょっと一杯、酒でもひっかけてくか・・・ぐらいの気持ちで立ち寄って頂ければありがたいデス。

もちろん、今回のイベントが、何がしかの問題提起くらいにはなれば嬉しいけどね。
 
ただし、決して強制などするつもりはゴザイマセン。あくまでも自分で考え、自主的に行動する事を私は望んでおりマスので。
 
ああしかし、自分で決めて自分でやるのって、ホント楽しい!!たとえその結果、自分に苦痛や負担がのしかかってこようと・・・。
 
誰かから一方的に与えられるだけってのもいやだし、あれしろこれしろっていちいち指図されたりするなんてもっての他。
 
生きるって事は、自らの意志と力によって、苦しさや楽しさ・・・その他色んな感情を、自分のこころと身体で思いっきり味わう事に尽きると思いマスよ。
 
それでは皆様、またどこかでお会いしましょう。
 
「DO THE INDEPENDENCE」!!
 
(第一部/完)

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その17

私の基本的な考えとしては、やはりステージに立つ人と言うものは、その素晴らしい内容と力量によって観客を圧倒して欲しいし、この人は観客の立場である自分よりも遥かに音楽を好きなんだと言う憧れ・・・否、嫉妬にも似た感情を抱かせて欲しいし、自分にはとてもここまで音楽に対して時間と労力をつぎ込む事は無理だと思わせて欲しい訳なのでありマス。
 
ところで、“音楽を好き”とはどう言う事なのか?
 
・・・と、その前に、もう一つ言わせて頂くならば、今現在世の中に存在する音楽を聴く事で満足出来る人間は大人しくリスナーで居れば良い訳で、もちろん「俺もやりたい」だとか「俺にも出来そうだ」と思い立ち、趣味で音楽をプレイする事を否定するつもりも全然ない訳でありマスが・・・。
 
しかしながら、音楽をプレイする事のみならず、クリエイトしたいと思う人間は、「今現在この世に存在する音楽では満足出来ない」、あるいは「自分がやった方がもっと素晴らしいものが出来る」と思うからこそやるのであって欲しいと言う願いが、私にはあるのデス。

もっとも、その際の“素晴らしいかどうか?”の基準とは、その本人の価値観に委ねられている訳ではありマスが・・・。
 
自分がやる音楽よりも、自分が聴く音楽の方に素晴らしいものや憧れの対象が多く、なおかつそれを超える(・・・と言うか、もっと自分にフィットした)音楽をクリエイトしようとする気もない人は、リスナーの立場で居る方が良いのではないでしょうかとも思ったり・・・。
 
しかるに、アマチュア・ミュージシャンならば、それは全然構わないのでありマスが、私はやはりプロフェッショナルな人の演奏を観たいし曲を聴きたい訳で、ライヴ・ハウスに通う理由も間違いなくそのためなのデス。
 
・・・ちなみに、プロフェッショナルかそうでないかと言うその線引きは、売れてるとか売れてないだとか・・・すなわち動員数や売り上げの量などでは全然なく、あくまでも音楽に対する態度や行動、それらの度合いで推し量るべきであると私は考えておりマス。
 
言うなれば音楽に限らず、「自分には、この人がそうしてる程にまで好きな対象物に人生を捧げる事は出来ない」・・・とさえ思わせてくれる様な人、それが私の考えるプロフェッショナルであると言う事なのデス。
 
よって、例えば私の様に手先が不器用な上に地道な努力を繰り返す事が苦手な人間が、「あ〜あ、自分もバンドでもやろうかな〜」なんて思ってしまう現在の状況(=プロフェッショナル不在あるいは不足の時代)と言うのは、絶対に良くない事だと思うのでありマス。
 
・・・そもそも私自身が、観客の立場では満足出来ない程に音楽を好きであり、しかしまたそれゆえに自分なんかが音楽をプレイしたりクリエイトする事は音楽に対する冒涜だと思ってしまう反面、観客の立場で甘んじる事では満足出来ず、なおかつ音楽から喜びを“もらってばかり”では申し訳ないゆえ、音楽に恩返しする事の出来る“支援者”と言う立場を選んだ訳なのデスから・・・。
 
そう・・・。「音楽を好き」って事は、音楽から喜びなり何かをもらい続ける事ではないはず。
 
考えてみて下サイ。そりゃ、いつもお菓子をくれるオジサンや、いつもバッグを買ってくれるオジサンの事は「好き」でしょうよ。だけどそれはあくまでも自分に喜びなり利益をもたらしてくれるゆえにであり、その際に用いられる「好き」とは、“自立していない人”が抱く「好き」と言う感情ではないかと私は思うのでありマス。
 
自立している人としていない人・・・。子供と大人と言う言い方をすると勘違いをする人が多いので、あまり使いたくないのデスが、簡単に説明すれば、“もらってばかり”で、“与えようとしない”人の「好き」は、子供が考える「好き」であり、自立していない(少なくとも対象物と対等もしくはそれ以上の立場になろうとしない)人の「好き」でありましょう。
 
例えば、「子供が生まれて親になって初めて大人としての自覚が芽生えた」と言う話を良く聞きマスが、まさにそれ。親と言うものは(極一部の利己的なけだものを除き)、自分の子供の事を何より第一に考え、子供が病気にでもなろうものなら心配でいてもたってもいられず、いつだって子供が幸せになってくれる事だけを願い、時には自分の命を犠牲にしたりもするものであるはず・・・。
 
そしてそれこそが、自立している人間が抱く本当の意味での「好き」と言う事ではないでしょうか?・・・と。
 
ゆえに、「音楽を好き」であると言う事は、いつも音楽の事を第一に、そして大事に考え、自分のエネルギーや人生の大半をそこにつぎ込む事、それ以外には考えられないのデス。
 
「○○が好き」「○○は楽しい」「○○はカッコ良い」・・・。そんな事ばかり考えてる様では、とうてい「音楽を好き」とは・・・否、“自立している人”が考える「音楽を好き」であるとは言い難いでしょう。

また、自立すると言う事は自分以外のものに対する“依存度”を低くする事でもありマス。・・・とは言っても、もちろん既成の楽器や既存の和音等は用いている訳ではありマスが・・・。しかしやはりそこに自分なりの何かをプラスしなければ。そもそもオリジナリティの確立とは、既存のものから何かをマイナスする事ではなくプラスする事・・・すなわち改良して行く事だと私は思いマス。現在主流の“ミクスチャー”なんて、本来は全面に打ち出すべき自己の価値観と言う裸の姿を押し隠すために、ただただ上っ面の衣装をとっかえひっかえして余計に見えなくしているに過ぎマセン。

私は自立したかった。そして、「音楽を好き」な事を表明かつ証明したかった。かと言って、音楽をプレイしたりクリエイトする才能はない。そう考えたからこそ先にも述べた通り、私は観客(もらってばかり)の立場では満足出来ず、音楽に恩返しする事の出来る“支援者”の立場を選んだのでありマス。
 
・・・とは言え、本音を言えば観客(=消費者)の立場に甘んじていれば良かったとも思いマス。欲しい時に欲しいものを買ったり、好きな時に好きなものを自由に観に行けるし・・・。
 
しかし実際には、ライヴ・ハウスで言えば1500円〜2500円(+ドリンク代)の入場料は確かに安くはないかも知れない。でもそれはある種、何人かの客がワリカンする(あるいは足りない分を出演者自身が店に支払う)から成り立っている価格であり、実際は1回のライヴを行うためにミュージシャンなりバンドが費やしている経費はもちろんその時間や労力たるや、そんな安いコストではないはずなのデス。
 
それゆえに私は、音楽に過大なる情熱や労力を注ぐミュージシャンはもちろん、損な役回りばかりの裏方である支援者やスタッフ、観客の立場であっても宣伝や撮影や録音その他でミュージシャンに協力している準スタッフ的な人、そして更に単に観客であってもライヴを観るために毎回実際に足を運ぶ様な自立した音楽好きの人達に共感・・・さらには尊敬の感情さえ覚えるのでありマス。
 
現代は、「観客が舞台に立てる時代」。・・・否、「自立していない音楽好きな人でも人前で音楽を演れる時代」。
 
それが良い事なのか悪い事なのか?
 
「音楽は人のこころを動かし、人の人生さえをも左右するもの。」・・・だった時代は確かにありマシタよね。
 
最後に・・・。今回も偉そうな事ばかり申しマシタが、音楽の事を自分の実の娘の様に大事に思っていれば、その結婚相手を選ぶ際にうるさい事を言うのは当然でありましょうから、その点、平にご容赦をば・・・。m(_)m

(つづく)

その18
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=27