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  • 2010.02.07 Sunday
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「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その10

前回のつづき・・・
 
まあそんな、言わば“虎の穴”的なやり方によってバンドを育成し、より良い音楽を少しでも世に送り出す事をしていかなくちゃ駄目だと言う事を、私は述べた訳なのでありマスが・・・。
 
結局、今の状況ってハードばっか繁栄してソフトが全然育ってない訳ね。いやいやもちろん良いバンドももちろんたくさんおりマスよ。ただ、運良く恵まれた環境に居る人達やある程度の努力なり持って生まれた才能(ルックス、二世ミュージシャン等)が認められてメジャー・デビューした人達以外には、その殆どがバンドやミュージシャン自身の自助努力(あるいは親の脛や彼女の稼ぎ)のみでそれを成し遂げなければならない訳で、いや確かに今のペースでも10年後20年後には成果は出るかも知れマセン。だけどそれでは現在の状況を何とかキープするだけで、見違える様な変化は起きないと思う訳デス。
 
だから本当は、音楽で金で儲けてるメジャー・レコード会社や営利第一主義の貸しホールこそ、ソフトの充実・・・すなわちミュージシャンを育てるって事をもっと積極的にやらなきゃいけないはずなんだけどね。奴らはいつも手っ取り早く金の成る木を探してるだけで、種を植えたり畑を耕す事もせず、やっといくらか人気(=売れる見込み)が出てきたバンドをそっから引っこ抜いて行くだけだから。
 
その反対に店でバンドを囲って練習やライヴをバシバシさせるってのは、まあ言わばその店の目玉商品、お薦め商品を育てる事であって、練習やライヴをこなす事で演奏って必ず良くなると思うのね。もし仮に、それで良くならないのであれば練習なんか一切やる必要ない訳でさ。もちろん音楽性によって多少の違いはあるだろうし、即興音楽の場合は練習するってより、より多くの人とセッションするとか、まあいずれにせよ数をこなす事って悪くないよね。ただし、それが正しい方法で行われていればの話だけど。
 
あっ!!天然とか無垢を売り物にしてる人は別かもね。なんせ技術を覚えたり何かを加えたりして成長しちゃ駄目なんでしょうから。
 
それで、店がバック・アップする事によって、そのバンドはそれまで貴重なチャンスを逃しつつ過ごした1年間を半年なり数ヶ月に縮める事が出来る。さっきはアバウトに良い演奏って言ったけど、その音楽特定のジャンルなり描きたい作品なりの正しいベクトルでの品質向上があれば、その手のジャンルに興味がある人は当然好きになる訳だし、もしかしたらその傾向を好きじゃない人も「あら?これも美味しいわね。」となるかも知れない。
 
“良い音楽”って、まあ人それぞれ価値観は違うだろうけど、やっぱ“人のこころを動かす事が出来るかどうか?”って事が、その最も大事な要素だと思うしね。
 
そうなると、そのバンドにも少なからずファンが増え、美味しい料理を出すって事でその店の株も上がり、例え一般の客が振り向かなくともそのバンドと共演するバンドも「俺達も負けてられない」と奮起する、すると客も良い演奏をたくさん観る事が出来る様になるから目も耳も肥えて、いい加減な演奏してる様なバンドや表面的なカッコだけしか取り得がないバンドばかり出し続けている店はどんどん淘汰されて行く。
 
・・・と、そうやって実力が抜きん出たバンドがひとつでも多く増えて行けば、良い演奏をする事すなわち良い振動を発する事がその周辺にも良い影響を与え、それが波及して行き、そう言った“真っ当な競争”が極当たり前に行われる様になる事によって初めて、音楽シーン全体が健全に発展及び活性化するはずなのデス。
 
バンドが通常行う活動のペースを極端に速めてやる事、そしてその様な店やバンドがどんどん増える事で、最初は少しずつでも、必ず状況は変わる。そんな上手く行くはずないって思う人も居るかも知れないけど、それを試すチャンスさえ許されてないのが現状だからね。
 
ただ、しつこい様だけど、あくまでも正しいやり方と正しい方向性でなければ無意味だけどね。笑顔の作り方と媚を売る技術ばっか覚えたって、どうにもなんね〜んだよ!!
 
要するに今の現状は、バンド側が限られた時間とお金・・・すなわち経済的な足枷によって、やる気や向上心があるにも関わらずその成長を阻まれ、そのせいで客のこころを掴む少ないチャンスをみすみす逃し続け、更にはバンド自身やライヴハウスのみならず、結局は音楽と言う素晴らしい文化のシーン全体の衰退及び停滞を招いてしまっている状態なのでありマス。
 
良い作品を作り良い演奏をする事以外に、ミュージシャンの仕事なんてありマセン。
 
しかるに、現在のこの変化のペースや成長のスピードで何かが変ると、本当に思いマスか?
 
それにリスナーだって馬鹿じゃない。リスナーのレベルをけなす人も居るけど、それはライヴハウスやミュージシャン自身の責任でもあり、その障害及び元凶となっているのは、バンドを使い捨てにして人間や音楽を育てようとして来なかった目先の利益に目のくらんだ営利至上主義のライヴハウスやメジャー・レコード会社にあるのデス。
 
(つづく)

その11
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=18

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その11

前回ラストで、アーティストを育成する事をしないメジャーなレコード会社やライヴハウスもどき(営利第一主義の貸しホール)の事を断罪イタシマシタが、実は戦犯はもっと身近にも居るのデス。

それは、私達のこころに潜む甘えや怠け心とでも言うのでしょうか?

・・・と、その前に、何らかの才能(ルックス等の生まれ持った資質等)や自助努力によって習得した技術なりが認められてメジャー・デビュー出来たアーティストってのは、当初こそ給料も少なくて大変だろうけど、アマチュアの頃に比べて音楽に費やせる環境や時間が増える訳で、そうなると更に演奏技術を上達させる事も可能になる訳なので、その点は評価に値するのデス。(ただし、いきなり人気が出過ぎると、逆に忙しくて作曲する時間がなくなり、作品の質が著しく落ちる事もあるが・・・。)
 
ただし、とにかく人気集めが最優先・・・と言うか、まずは売れない事には音楽を仕事にして生活する事が出来ないって事で、内容はそっちのけで上辺のカッコ良さだとかミーハー向けにレベルを下げた解り易い音楽をしようとする人間が出てくる事が問題なんでね。
 
何せ、メジャー・レコード会社ってのは基本的に利益を上げなければ存在意義がない訳で、最近はそれでもリスナーの嗜好も細分化されて来て小さなマーケットを狙い撃ちにした商材も増えてきてはいるんだろうけど、やっぱどうしても一般大衆向けの売れ線狙い・・・とまでは言わないけれど、ありきたりな題材をモチーフにして安全かつ無難に最大公約数のリスナーをターゲットにした作品を発表せざるを得なくなる訳で、それが私達、いわゆる主にライヴハウスに出演している様なアンダー・グラウンドなミュージシャンを好きな人にとってはどうしても物足りなく感じちゃうんだよね。
 
それをまあ解り易く例えて言えば、メジャーは猫の絵を描く人で、アングラは蛇の絵を描く人・・・みたいな?
 
よって、そもそも猫の絵の方が多くの人に好まれ易い上に、しかも技術も水準以上となれば、そりゃそっちの方が売れマスよ。それに比べ、蛇の絵ってのは元々好む人が少ない訳だから、仮にいくら技術があったとしても少数の人にしか好まれない訳で・・・。
 
でも、だからと言って技術がなくて下手でも良いんだって事ではないと思うのよ。確かに、メジャー・シーンでは猫の絵ばっか売ってるから、蛇の絵を買いたい人はアングラ・シーンに足を運ぶしかない訳だけど、ミュージシャン自身がそれを良い事に、希少価値にあぐらをかいて演奏技術を高める努力を放棄するってのは違うのではないかと。
 
まあ、マニアックと言えば聞こえは良いけど、それって「俺達みたいなのが売れる訳ないんだから、上手くなったって意味ないんだ。」と開き直ってるだけっちゅうか、もっとハッキリ言えば、それって単に“モラトリアム”なだけではないかと思う訳。

どんな題材であろうとも、やはりその路線の最高峰であれば、それはきっと涙が出る程に素晴らしく、観る者に感動を与える作品なんだろうって思うし。

だからこそ私は、本当にバンドを支援する気があるのなら、(もちろんそれだけの覚悟と資金が必要だけど、)バンドに自由に練習出来る場所を与える事によって経済的な足枷を取り外してやり、その成長のペースをもっと速めてやる必要があると主張した訳なんだけど、いざそうやって努力や向上心をダイレクトに生かせる事が可能な環境になると、正体がばれるから困るって人も出てくる訳なのデス。
 
それがどう言う事か?って言えば、現状すなわち時間とお金の制約がある中で、皆がいつまでもどんぐりの背比べを続けてくれれば良いけど、もしもそれが解禁されて実力の勝負になり、一部のバンドの演奏なり技術が目に見えて向上したら、そんなぬるま湯の中でだけで偉そうにアングラの帝王面してた人間の価値は暴落するからね。
 
もしも、私の考え・・・すなわち良い演奏をするバンドがどんどん増えて、健全かつ真っ当な競争が当たり前に行われる様になれば、絶対にシーン全体が活性化し発展するはずだ。・・・と言う意見に反対する人が居るとすれば、それは上記の様な人だと思うよ。
 
だっておかしいでしょ?良いバンド、良い演奏、良い音楽が少しでも増えるなら、それだけでもオッケーじゃない?
 
要するに蓋を開けてみれば、現状に不満を持って悔しい思いをしてる人ってのは実は極一部で、今現在の状況が続いてくれた方が自分を強く偉くカッコ良く見せる事が出来ると言う、言わばこんな最悪の環境にあってなお、ちっぽけな既得権益にしがみついてる臆病な人種が居るって事。
 
結局、アマチュア・ミュージシャンは時間的経済的な制約があるから演奏技術がメジャーのアーティストやプロのミュージシャンに比べて多少劣っても仕方ない(←もちろん、私もその気持ちが解るからこそ色々な提言をしている訳デスが・・・)と言う事を免罪符にして、もし仮に自由な時間を与えられた所で、実は何も出来ない・・・すなわち努力もしないどころか、そもそも何をどうしたいのかすら考えつかない人達にとっては、現状の様に皆が苦しみながら何とか少しでも状況を良くしようともがきながら時間とお金を浪費しつつ一生を終えてくれた方が都合が良い訳デス。
 
しかるに私が望んでいるのは、何も音楽の世界に限らず、持って生まれた資質なり資産の度合い、権力者や権威に媚びる能力、あるいは上辺だけの軽薄な人気や流行の商品だけではなく、もっとそれぞれの人間ひとりひとりの努力が様々な形で・・・それも正しい努力が実り報われ認められる様な世の中になって欲しいと言う事なのでありマスからして・・・。
 
百歩譲って社会生活をまともに営めない駄目人間や人間の屑でも全然構いマセン(←私がその被害を被る立場に居なければの話デスけどね・・・)。だけど音楽、こと自分の好きな音楽に限っては誰よりも情熱を注ぎ込めるだとか、向上心を忘れず一生懸命取り組める様な人間にこそ、私は音楽をやって欲しいし、そう言う人の作品こそ、その価値を認められるべきだと言うのが私の偽らざる本音なのデス。
 
私が主張している事って、そんなにおかしな話じゃないでしょ?
 
どんな分野においても、怠け者は淘汰されるべきであり、そのためにこそ、良い音楽をクリエイトするために努力を惜しまぬ人間に対し、ライヴハウスやレコード会社、そして一般人でも資金のある人は投資・・・否、(経済は文化に)奉仕すべき・・・なのではないかと。
 
私の文章はいつも、虐げられてる少数派の人達やインディペンデント(自主独立)精神のある人達、そしてパンク・スピリット(改革精神及び開拓精神)のある人達に捧げられておりマス。
 
ゆえに、もし少しでも共鳴して頂けたなら、それは、貴方にも間違いなく“それ”があると言う事デス。
 
インディペンデント・シーンに居るからだとか、いつもパンク・ロックを聴いてるからと言って、必ずしもそうだとは限らないのでありマス。
 
(つづく)

その12
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=19

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その12

さてここまで、あまりにも無茶振りと申しマスか、理想論に過ぎないと思われても仕方のない事ばかり述べさせて頂いた訳でゴザイマスが、それらは一重に、現状に満足出来ず何とかそれを打開したいと考えている同志の方々へ向けた切実なるメッセージでありマシタ。ゆえに、多少刺激的な発言も織り交ぜられていたかとは存知マスが、平にご容赦下サイませ。m(_)m
 
私は何も、友達を集めてライヴ・ハウスでパーティーをやる事を否定している訳でもなければ、ライヴ・ハウスに出演する事自体が最終目標である様な若い子達や、仕事と両立させながら趣味で音楽活動をしたい方に対し、ああしろこうしろと言ってる訳ではありマセン。それで満足出来る人は、構わないのデス。それはそれで必要な事でしょう。娯楽の種類は多いに越した事はありマセン。
 
しかるに、やはり課題となるのは音楽を仕事にしたいと考える人の存在であり、時間とお金さえ許せば音楽をもっともっと質的に向上させたいにも関わらず経済的な足枷がある事によってそれが叶わず、それが直接の原因であるかどうかは別として、集客を増やす事さえもままならないと言った状況の中でジレンマに陥ってる事に対し、私は非常に歯がゆい思いをしているのデス。
 
よって本音を言うなら、出来ればそれらをきちんと線引きするか、せめて住み分けをして欲しいと考えている訳なのでありマス。
 
そもそも、友人や身内・・・すなわち自分の事を少なからず肯定的に見てくれる事が前提である人達の前で行う表現行為と言うのは、基本的に厳しいジャッジの目にされされる事はない訳なのでありマスが・・・。
 
それに比べ、もちろん現在は友人や身内しか来てないかも知れないけど、自分が行っている表現行為の良し悪し、もしくは好き嫌いのジャッジを赤の他人に委ねる事・・・すなわち時には批判や嘲笑を浴びせられる事を覚悟の上で人前に姿をさらしている人達と言うのは、それこそ薄氷の上を歩く心境でステージ(舞台上)に立っているのでありマシテ・・・。
 
いえいえ、私は別に、だからと言ってそれを手放しで誉めろと言ってる訳ではありマセン。むしろその逆に、舞台上の人間に対して、観客の側はもっとプロフェッショナルな気持ちを持って臨むべきであり、極端に言うなれば、一度でも手を抜いたステージをしたなら、もう二度とそのアーティストを観に行くのをやめるぐらいの事をしなければ、観客を感動させたり満足させる事が出来る程の優れた技術を持つからこそ立てる場所であるべきステージ(舞台上)の価値や意義と言うものが、どんどん廃れて行ってしまうのではないか?・・・と。
 
そもそもライヴ・ハウスにせよ劇場にせよ、友人や身内の人間だけでなく不特定多数の一般客にも門戸を開いている舞台で出し物を行うと言う事は、自分の手がけた作品や表現行為自体はもちろんの事ながら、更に言えば「表現者としての自分の存在意義及びその是非をも世に問う事」・・・なのであるからして、ノルマ代さえ支払えば(orノルマ分だけの集客があれば)どんな酷い演奏をしても許される様な、そんな甘っちょろい場所であってはいけないはずなのである。
 
舞台の上に立つ者は、他人にお金を支払わせて恥ずかしくない出し物をしなければならないし、それができなければ速やかに舞台を降りるべきなのだ。
 
それゆえに、現在の様なお金さえ支払えば誰でも舞台の上に立てると言う状況は、舞台に立つ資格や覚悟の価値や意義を貶める要因でしかないのである。
 
ただし、プロフェッショナルかそうでないかと言うのは、経済的に成功しているのか否かと言う点のみで推し量れるものではない。何故ならば、プロフェッショナルな出し物が経済的にも成功するためには、それを認めてくれる観客の存在が絶対不可欠なのだから。
 
ゆえに、ライヴハウスがそれ(住み分け)をしないのであれば、本当ならば、観客こそがそれを見極め線引きしなければいけないはずなのであるが・・・。
 
何せ、これだけライヴ・ハウス及びライヴ・ハウスもどきが増えてしまい、しかも自分でお金を支払ってまで舞台に立ちたい人が後を絶たないとなれば、いくら「自分はきちんと選ぶから良いんだ」と言っても、真に舞台に立つべき覚悟とレベルを兼ね備えた表現者の所に、そうそう簡単に人の注目が集るとは思えないし、ましてやいきなり多くの集客が見込めるとは到底思えないと言う事は自明の理。
 
だから私は、しょっちゅう絶望的な気分になりながらも、経済的に成功していないがプロフェッショナルなアーティストもしくはそれを目指す気持ちがあり、なおかつそのために努力を惜しまぬアーティストやミュージシャンに対し、メジャーのレコード会社や営利第一主義の貸しホールがやらないと言うのであれば、ミュージシャンのサポートをする事を目的にライヴ・ハウスを経営している方々もしくは一般人であれども本当にミュージシャンを支援したいと考える人達こそが、彼らが時間とお金を気にせず創作活動やリハーサルに打ち込める様、経済的かつ物理的な足枷を外してやる必要があるのだ・・・と、再三述べているのでありマス。
 
そしてその暁に、売れてもいないのに演奏が異常に上手いだとか、客はこんなに少ないのに涙が出る程に素晴らしい音楽と言うものが、少しでも多く世の中に発信される事にでもなれば、それを観た人は必ずや、舞台に立つべき人間の資格や覚悟と言うものが本当はどんなものであるのかと言う事を思い知るはずなのデス。
 
結局、毎晩の出演者の頭数さえ揃えれば経営が成り立つノルマ制による経営方法だなんて言うものが、そもそもの間違いの元なのでありマス。何故ならば、ライヴ・ハウスもどきにとっては出演者が誰であろうと、どんな出し物であろうと全く関知する必要も責任もないゆえ、目先の利益さえ得られれば舞台の価値が下がろうが表現者の質が落ちようが、そんな事はどうでも良い事なのだ

かくて、
ライヴ・ハウスもどきは繁栄し、舞台に立つ人間の数は増え、それに伴って観客の絶対数も多少は増えたかも知れないが、それ以上に毎晩あちこちでたくさんの催しモノが行われている訳なのであるからして当然の如くその人数は分散し、出会うべきものと出会う機会は減少し、その挙句、本当に舞台に立つべき資格と覚悟のある人の出し物にはその内容と質に見合った集客の数が望めなくなってしまうだなんて・・・。
 
そんな馬鹿な話があるか!!
 
・・・って事。(TT)
 
(つづく)

その13
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=20

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その13

さて、壊れた楽器(パソコン)も中古で買い直したし、続きを書くとイタシマスか・・・。と思ったら電話が止まってた・・・(TT)
 
え〜、これはもはやオヤジの戯言、あるいはおそらく私の自分本位なエゴに過ぎないのであろうと言う事は百も承知の上なのでありマスが・・・。
 
今から25年前、時は折りしも、かのインディーズ・ブーム前夜。日本の音楽シーン、特にパンク系に限っては、情報と言えばD○○L誌か宝○誌くらいしかなかったにも関わらず、日本中あちこちで新しいパンク・バンドが生まれ、パンク・ロックの形態やバリエーションは日を追って進化・分化・特化し、自らが行動を起こしてライヴ・ハウスに足を運びさえすれば、誰もが目まぐるしく変化して行く音楽シーンの目撃者になる事が出来た時代でありマス。
 
よって私にとってのライヴ・ハウスとは、何かが起こる場所、何かが変わる場所、何かが始まる場所以外の何物でもないのであって、更に言えば、実はライヴを観ている最中よりも、むしろライヴ終演後の帰り道、独りでその日の余韻を噛み締めている時の方が気持ち良かったりするのでありマシタ。
 
そしてその理由を分析するならば、これは音楽そのものにも言える事なのでありマスが、そこからもらった力や勇気や喜びを、明日の仕事の励みにするなり、生きていく糧にするなり、自分もその日から何かを始めるなり・・・と、言わば生命力を充電する様な効果が間違いなくそこにはあったのではないかと思われマス。
 
・・・とは言え、そもそも良い音楽ってのは、人のこころを動かすものであり、変えるものであり、勇気づけるものなのでありましょうから、それは至極当然な話なのではありマスが・・・。
 
ゆえに、私にとって音楽を聴く事、そしてライヴ・ハウスに行くと言う事は、生きるための原動力を得るためであり、私の様な駄目人間がこの世で生きる続けるためのエネルギーを受け取るためでもあり、なおかつ、そうやって受け取ったパワーを、今度は自分自身が何がしかの方法で世の中に対して発信するなり還元するためでもあったのだ・・・とでも言い換えられましょうか。
 
音楽から発せられる良い振動が聴く者のこころに良い影響を与え、その振動を受け取った者が更にその良い振動を世の中に伝え広めて行く。それ以上の、否、それ以外に音楽の役割や目的などあるのでしょうか?
 
確かに、今現在においても音楽は楽しいものでありライヴ・ハウスは楽しい場所だ・・・と言う意見もありましょう。しかしながら、体を動かし汗を流し気分を爽快にさせる事だけが音楽の存在価値や存在意義ではないのデス。
 
ビートの効いた音楽ならば、人の体のみならず動物の体をも揺すらせる事が出来るかも知れマセン。しかしながら、動物になくて人間にあるもの、ロボットになくて人間にあるもの、それは想像力であり創造力なのでありマス。
 
しかるに現在の世の中は、むしろ人間から想像力や創造力はもちろん、更に言えば自主性や主体性を奪う事が目的であるかの様な、まるで人間を家畜に貶めるかの如き目先の利益や自己の欲望を満たす事のみ追い求める価値観が蔓延っているとしか私には思えないのデス。
 
音楽の世界に話を戻せば、経済活動と言う名の足枷がある状態、ましてや経済活動への隷従を余儀なくされる様な状況で、本当に自由な創造活動など出来るはずがないのでありマス。
 
もちろん、創作活動と経済活動を両立させる事が出来れば元より苦労はありマセン。しかしながら、少なくとも作品を創造するその瞬間だけでも、それらは切り離されていなければならないのデス。
 
経済活動とは無縁な創作活動が、その後で結果的に経済活動に結びつくのであれば何の問題もありマセンが、経済活動のみならず人気や流行に左右されながら行う創作活動に、無限の、もしくは未知なる可能性など見出し得るでしょうか?
 
だからこそ、音楽を愛する者、そして音楽家を支援する者がすべき事は、音楽家の創作活動と経済活動を切り離してやる、もしくは経済活動とは無縁な創作活動が行える環境を整備する事にあると私は繰り返し述べているのデス。
 
換金性の高い音楽とは、すなわち多くの人々が好むものな訳でありマスから、それはそれで確かに世の中には必要デス。しかし、それだけで良いのか?例えお金にはならなくとも、観客が少ししか集まらなくとも、存続すべき真に創造的な音楽と言うものもあるはず。
 
私は見たいのデス。時代が変化して行く様(さま)を、バンドが成長する進化の過程を、目の前で新たな価値観に基づく表現が産声を上げるその瞬間を・・・。
 
だからこそ、私は今でも、ライヴハウスに足を運び続けているのでありマス。
 
今にも消え入りそうな儚い理想と希望に、背中を突き動かされながら・・・。
 
(つづく)

その14
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=21

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その14

(今回はここまでの話を総括する内容となっておりマス。)
 
ここで一旦、今までの話を整理イタシマスと・・・。
 
もって生まれた才能なり後天的な努力もしくは運に恵まれてメジャー・デビューを果せた、あるいはそうでなくとも経済的な成功を得る事が出来たアーティストやミュージシャンは、音楽を本業にする事が出来たがゆえに、作品や演奏を質的に向上させる事を可能とする時間と機会・・・すなわち経済的な余裕なり猶予を得る事が出来る訳でありマスが・・・。
 
その反対に、もちろんその本人の資質なり努力の度合いと言うものが関係はするものの、取り扱う題材自体が元々少数派向けである表現活動を行っているアーティストなりミュージシャンと言うものはどうしても人気や動員数が伴わないため、音楽活動のみを仕事とする事は難しく、それゆえにその本人のみならずそのジャンル全体の質的向上を図る時間や機会・・・すなわち経済的余裕なり猶予を得る事が出来にくい訳でありマス。
 
そしてその結果、大多数の支持を得る事の出来る音楽はますます栄えるが、少数派向けの音楽はいつまで経ってもその魅力なり能力を開花させる事が困難となるのだ。
 
・・・とは言え確かに、大多数の支持を得ると言う事は、大多数の人間に喜びを与える事が出来ている訳であるからして、それ自体に魅力があると言う事も否定し得ない事実。
 
しかしながら、少数派向けだからと言って、イコールそれが愚にもつかない劣悪な音楽であると決めつけるのもあまりにも乱暴な話ではなかろうか。
 
そもそも、メジャーなアーティストは経済的成功を手にしたがゆえに音楽の質的向上をも可能にする事も出来るが、そうでないアーティストは自分なり家族が働いて得た金をつぎ込んで音楽活動をしているため本人のやる気や意欲を音楽の質的向上へとダイレクトに結びつける事自体が難しい訳で・・・かと言ってその不遇な環境に甘んじて努力を放棄する事もまた間違いな訳であるが・・・。
 
いずれにせよ、音楽の質的向上が本人の資質や努力以外の要素・・・人気や動員数すなわち売れているか売れてないかと言う経済的な要因にのみ支配されているがゆえに大多数の支持を得やすい題材を扱っているのであればそこには真っ当な競争も存在し得るが、元より少数派向けの題材なり表現行為と言うものはその進歩なり成長を経済と言う名の足枷によって常に制限されているがゆえに、本人のやる気や努力が報われるどころか、そのジャンルなり分野全体の健全な発展さえも阻まれているのが現実なのでありマス。
 
よって私は、この状態を指して「文化が経済の奴隷に成り下がっている」と批判しているのであり、このままでは大多数の支持を得るものすなわち経済的な成功を得る事のみが最優先であり最優良なものであるかの如き価値観が蔓延し、音楽作品なり芸術作品のその本質的な善し悪しを推し量る事よりも、とにかく目先の金を追い求める事のみを至上の価値とする考え方によって、経済的成功や利益とは本来無関係であるべき文化と言うものが完全に屈服させられ絶滅してしまうのではないかとの危惧を抱いているのデス。
 
・・・とまあ、そこまで大げさに言わなくとも、貴方が少数派向けの表現を好むと言うのであれば、その分野がもっと発展する事に対して躊躇する事など何もないし、むしろ大歓迎すべき事柄なのではないでしょうか?
 
そこで私はしつこい程に、それが大多数の支持を得にくいのであれば、それを好む者達がそれを支え、育てていく必要があるのだと繰り返し申している訳なのでありマス。
 
しかるに、ここで問題・・・否、障害となるのが、現在のライヴ・ハウス・シーンの在り方なのデス。
 
私は何も、ノルマ制を廃止しろと言ってる訳でもなければ、ましてや誰にでも無料でライヴ・ハウスに出演させろと言ってる訳では全然ありマセン。
 
むしろ、その逆・・・。
 
ノルマ制の弊害とは、音楽を聴く耳や見る目など一切なくとも、更には音楽など好きでも何でもなくとも、ライヴ出演したい人間さえ確保し毎日のスケジュールを埋めさえすればライヴ・ハウスの経営が成り立ってしまうと言う点にこそあり、それゆえに安定した経営を約束されたライヴハウスはどんどん増え続け、東京都内で一日に行われるライヴの数は10年前に比べ激増し、多少は観客の数も増えたとは言えどもそれが分散するのは目に見えており、本来は観客が支払う入場料なりドリンク代で経営を成り立たせていたはずのライヴ・ハウスが、今では出演者から徴収するノルマ代金で経営を成り立たせているのが現状なのではないだろうか。
 
かくてここでも、よほど人気や動員数のあるバンドでない限り、やはり音楽活動以外の本業にその経済的基盤を置かざるを得ない状況が顕著となり、いずれはそれも破綻するか、あるいは破綻しない程度の範囲内での活動をする事で満足せざるを得なくなる訳なのでありマス。
 
更に、最も重要な問題点となるのは、ライヴ・ハウスへ出演する基準のレベル・ダウン・・・と言うか、そもそもそんなものなど存在せず、金さえ出せば誰でもステージに上がる事が可能となり、誰より優れた能力があるからこそ、あるいは誰よりも努力を重ねたからこそ手にする事が出来るはずであった「舞台の上に立って人前で演奏する」と言う行為に関して絶対に必要な厳しさや覚悟、もしくはその価値と言うものはどんどん失われてしまっているのが現状なのデス。
 
(つづく)

その15
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=22

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その15

え〜・・・さて、ものすごく乱暴に言うなれば、売れている人が経済的に成功しているがゆえに音楽活動を継続及び発展させる事が出来ているのと同様、売れてない人も音楽以外の本業等の経済的な安定によって音楽活動を続けていられると言うのが現状で、それらはいずれにせよ経済なくして音楽と言う文化が存続し得ないと言う事の証明でもある訳なのでありマスが・・・。
 
まあしかし、ライヴ・ハウスに出演する事が最大にして最終的な目標である方はそれで良いのかも知れマセンが、私はやはり、“それ”が一番好きで、“それ”を一番大事にし、“それ”が一番得意な人に、“それ”をやってもらいたいと思う訳なのでありマス。
 
“それ”・・・すなわち“音楽”。
 
ただし、その場合の“好き”と言うのは、そんなに生易しいレベルのものではなく、もしかしたら、現在ライヴ・ハウスに出演している人達よりも、私の方が音楽を好きかも知れマセンよ〜。
 
何故なら、私は“音楽を好き”であるがゆえに自分が音楽をやる事をあきらめた人間・・・だからでありマス。
 
・・・と言うと、ちょっとカッコ良すぎデスね。もっと正直に言いましょう。それは、私の様に手先が不器用で、しかも楽器演奏が上手くなるための努力が苦手な上に怠け者な人間が音楽をやるなんて事は、私よりも手先が器用で、しかも楽器演奏が上手くなるために努力を惜しまない様な人達に対して失礼極まりない事だと思ったからなのデス。
 
いえいえ、とは言え、もちろん“音楽を聴く事”は大好きだし、独りで部屋の中でギターを弾きまくるのも私は大好きデスよ。
 
だけど、その程度の音楽好きが、のこのこ人前に出て行って演奏なんかするって事は、自分が大好きであるはずの音楽に対する冒涜である・・・との思いに、私は至ってしまったのでありマス。
 
そもそも、本気でこころの底から“好き”だって事は、そんな趣味程度に“好き”だと言えるレベルではないはずだし、音楽をやるべき人は、朝も昼も夜も音楽の事ばかり、作詩作曲やアレンジはもちろん、暇さえあれば楽器を触ったりその事ばかり考えている様な人であるはずなのデス。
 
・・・だからこそ私は、自分で音楽をやるのではなく、“音楽に恩返し”する道を選んだのでありマス。
 
ゆえに、“音楽を好き”であり“音楽が一番得意”であると公言する人は、それを具体的な行動によって現実に示し証明し続けるべきなのデス。
 
そして、自分の創った作品で人を感動させ、自分の演奏で人を満足させ納得させる事が出来なければ絶対に駄目なのデス。
 
世界中の誰より・・・なぞとは申しマセンが、観客席に居る誰よりも自分の方が“音楽を好き”だと胸を張って言える様な人間でなければ、舞台上で、そして人前で演奏などしてはいけないのデス。
 
観客の立場からすれば、「あんなの俺にも出来る」と思える様な演奏を、お金払ってまで観たくなどないのデス。
 
・・・とは言え、昨今は、観客が支払う一人分のチケット代金よりも、ステージに立ってるミュージシャンの方がライヴ・ハウスに対して多額のお金(ノルマ)を支払ってる場合が多いのだから、あまり文句も言えないのではありマスが・・・。
 
しかるに、そもそも人前で何かを表現する事、それ自体が、やもすれば多くの賞賛を得る可能性もあるのと同時に、厳しく冷たい批判の目にさらされる・・・更には完全に無視され黙殺される可能性もある訳なのでありマスからして・・・。
 
私にしてみれば、舞台の上で人前に立って演奏する人と言うのは、誰しも少なからず、勇気のある人であり、憧れの人であり、尊敬すべき人なのでありマス。
 
よって、ステージに立つ人は最低でも自分より“音楽を好き”であり、なおかつ“音楽が一番得意”な人であって欲しいし、自分の音楽に対する愛情の度合いなんて、この人に比べたら全然駄目だと、徹底的に思い知らせて欲しいのデス。
 
ちなみに、個人的には、どちらかと言えば作品を創り出すクリエイティブ(作家的)な人の方が私は好みなのでありマスが、誰にでも簡単には真似出来ない様な素晴らしい演奏を聴かせてくれるプレーヤー的な人も、いずれにせよ私にとっては神様に等しい存在なのでありマス。
 
・・・と言うか、それ以前にその人達、すなわち作詩作曲したり舞台上で人前で演奏しているその人達の方こそが、おそらく私以上に、音楽を神様の様に大切に思い、音楽のために日々の一分一秒を、果ては自分の人生のすべてを捧げ尽くしているのだから、それは至極当然な事なのデス。
 
そんな人達に対し、この私程度の“音楽好き”が、敵うはずなどないではありマセンか!!

また、それは音楽に限った事ではありマセン。
 
どんな分野であれどんな仕事であれどんな商売であれ、“それ”を一番好きな人、“それ”を一番大事にする人、“それ”が一番得意な人・・・その様な人達以外の人間が牛耳ってる様な業界なんか、ロクなものであるはずがないのデス!!
 
あいつらはいつも、金のためなら何でも捨て、金のためなら何でも薄め、金のためなら何でも売り、“それ”自体が本来持つ価値や魅力や素晴らしさを、とことん地に貶め続けているのでありマス!!
 
“本当に好き”って、どう言う事なのか?どの程度なのか?そして、どうすればそれを証明し得るのか?
 
・・・問われているのは貴方であり、そして私でもあるのデス。
 
(つづく)

その16
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=23

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その16

少々間が空いてしまいマシタが・・・。
 
我が国全体で言えばもちろんそんな事などないのでありましょうが、ことライヴ・ハウス・シーンにおいて一番問題なのは、役割分担のバランスが悪いと言う点に尽きるのでありマス。
 
それが、どう言う事かと申しマスと、演奏者、支援者、観客の三者がバランス良く存在する事で成り立つのが本来あるべき理想の姿な訳でありマスが・・・。
 
(支援者であるべき立場のライヴ・ハウスが、一部の店を除き、観客から徴収すべき利益を演奏者から搾取する事で成り立っていると言う事実は繰り返ししつこい程に述べたので割愛するとして・・・。)
 
何しろとにかく陽も当たらず見返りも少ない(皆無?)ゆえに、裏方的立場である“支援者”の数や割合が非常に少ないのは言うまでもなく、更には今や観客の立場の人間もお金さえ払えば簡単に演奏者として舞台に立てる時代。
 
よって、演奏者もしくは観客兼演奏者の数ばかりが増え、かなり極端に言えば、昨日の演奏者が今日の観客となり今日の演奏者が明日の観客となると言う具合に、持ちつ持たれつそれぞれがそれぞれのライヴに観客として行き来する事で成り立っていると言うのが現状なのデス。
 
・・・とは言えもちろん、純粋に観客の立場のみの人もおられるでしょう。しかし、観客の立場から演奏者になった友人知人が居るゆえにライヴを観に行く、あるいはその逆に演奏者が友人知人ゆえにライヴを観に行くと言う人も多く、巷で良く言われる事ではありマスが、ライヴ・ハウスがある種のカラオケ・ボックス的なものに取って代わっていると言うのも確かな現実なのでありマス。
 
いえいえしかし、私は何も、それを全面否定しようと言う訳ではありマセン。私自身、友人のライヴを観に行く事もありマスし、そこは顔見知り同士で楽しむ場所デスので、日頃は口うるさいこの私ではありマスが、そこで「音楽とはかくあるべし」などと言った野暮な事を申したりする様な事もゴザイマセン。
 
ただし、そもそも自分の事を贔屓目に見てくれる上、多少の失敗もある程度見逃してくれるであろう事が大前提となっている友人知人の前で演奏する事と、見ず知らずの他人の前で演奏すると言う事は、その心構えからして天と地程の差があるのでありマシテ・・・。
 
そもそも人前に立って演奏すると言う事自体が、絶賛の言葉や拍手喝采を浴びる可能性もある代り、手厳しい批判や冷たい嘲笑の憂き目に遭うリスクも充分過ぎる程にある訳で、そこでは練習不足であるとか仕事(本業)の疲れなどと言った言い訳など許されないのはもちろん、ただの一度でも手を抜いた演奏をしたが最後、その日のお客サンは2度と自分を観に来てくれないかも知れないと言った、そこはまさに薄氷の上を歩く心境で臨むべき場所であるはずなのでありマス。
 
そしてまた、本来そうする事こそが人前に立って演奏する人間の務めなのであり、プロフェッショナルであるかどうかと言う事は、それでお金を稼いでる云々と言った経済的な成功の有無のみがその指針となるのではなく、仕事に対して妥協せず取り組む徹底した姿勢とその態度こそが、その可否を決するのではないでしょうか・・・とも。
 
ゆえに、その線引きが明確であれば何の問題もないのデスが、昔は貸切で行われた様な主に友人知人を集める事が目的のライヴ・パーティーも、今では入場料をスケジュール表に載せて一般にも公開されているかの様な形態で行われるのが当たり前となり、それだけならまだしも、ライヴ・ハウスが経営や利益を優先するあまり、更に恐ろしい事態さえも引き起こしているのでありマス。
 
はてさて、その事態とは・・・?
 
これこそがノルマ制の最大の落とし穴。ライヴ・ハウスは日々のスケジュールを埋めさえすれば、そして出演者の頭数さえ揃えれば経営が成り立つゆえ、店ブッキングと言う名の下に企画意図も不明ならば何のジャンルの統一性もないライヴが日夜組まれ、観客は目当てのバンド以外には目もくれず友人知人のバンドを観に来るだけ・・・と言った、音楽シーンの発展に貢献するどころか、ただ単に親が自慢の娘のピアノ発表会を観に来るだけみたいな事が実際に行われているのデス。
 
・・・否、もちろん良質なライヴ・ハウスは、たとえ店ブッキングであろうとも、きちんとそのイベント毎のテーマを掲げるなり音楽ジャンルを絞って、それぞれのバンドと各々の観客が相互に刺激し合い相乗効果を高める様な好企画を打ち出してもおりマス。
 
ところが、良い企画を組めないならば潔く店を休みにすれば良いものを、「経営=空き日を埋める事」としか考えない様な店は、過去に出演したバンドに片っ端から声をかけるなりして適当な企画をでっち上げ、バンドはバンドでやはりライヴはしたいし、あんまりお誘いを断ると良い話も来なくなるってんで、店との良好な関係性を保つために、そう言う企画にもホイホイと出てしまう訳なんデスね。
 
そこで今回、私が提言したいのは、何も店なり演奏場所を持て・・・などと言った無茶な事を言うつもりはありマセン。しかしながら、少なくとも練習代わりのつもりでやるライヴなら別として、もっと自分達や自分達のお客サンも楽しめて、なおかつ未来に可能性が広がる様なライヴをやった方がどう考えても良い訳だから、それならばブッキングを最初から店任せなんかにせず、しかもどうせ高いノルマを支払うのならば、何かしら有意義な自主企画をもっとどんどんやるべきではないか?・・・と言う事なのでありマス。
 
ジャンルにもよるだろうけど、よっぽど人気か実力のあるバンドばかりが出演する企画は別として、目当てのバンドが一つか二つのライヴって、やっぱ結構つらいものがあるんデスよね〜。
 
まあしかし、それもこれも活動してるバンドが多いせいでもあり、何の審査もなく人前に立って演奏する事が出来る環境、そしてそれを支える(その気持ちを利用してお金を搾取する)、お金さえ払えば誰でも出演出来るライヴ・ハウスが増え過ぎたせいだと思いマスよ。
 
金・金・金・・・金だけ。結局、音楽が盛んになった訳じゃなく、経済が繁栄してるだけ。
 
例えて言うなら、金さえ積めば入れる大学ばっかの国で、大卒と言うステイタスになんの価値があろうか・・・って事。
 
「音楽を好き」とは誰もが言うけど、「本当に好き」ってどう言う事?
 
次回はその話題なぞ・・・。
 
オヤジの小言はまだまだ続くのだ!!(TT)/
 
(つづく)

その17
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=26

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その17

私の基本的な考えとしては、やはりステージに立つ人と言うものは、その素晴らしい内容と力量によって観客を圧倒して欲しいし、この人は観客の立場である自分よりも遥かに音楽を好きなんだと言う憧れ・・・否、嫉妬にも似た感情を抱かせて欲しいし、自分にはとてもここまで音楽に対して時間と労力をつぎ込む事は無理だと思わせて欲しい訳なのでありマス。
 
ところで、“音楽を好き”とはどう言う事なのか?
 
・・・と、その前に、もう一つ言わせて頂くならば、今現在世の中に存在する音楽を聴く事で満足出来る人間は大人しくリスナーで居れば良い訳で、もちろん「俺もやりたい」だとか「俺にも出来そうだ」と思い立ち、趣味で音楽をプレイする事を否定するつもりも全然ない訳でありマスが・・・。
 
しかしながら、音楽をプレイする事のみならず、クリエイトしたいと思う人間は、「今現在この世に存在する音楽では満足出来ない」、あるいは「自分がやった方がもっと素晴らしいものが出来る」と思うからこそやるのであって欲しいと言う願いが、私にはあるのデス。

もっとも、その際の“素晴らしいかどうか?”の基準とは、その本人の価値観に委ねられている訳ではありマスが・・・。
 
自分がやる音楽よりも、自分が聴く音楽の方に素晴らしいものや憧れの対象が多く、なおかつそれを超える(・・・と言うか、もっと自分にフィットした)音楽をクリエイトしようとする気もない人は、リスナーの立場で居る方が良いのではないでしょうかとも思ったり・・・。
 
しかるに、アマチュア・ミュージシャンならば、それは全然構わないのでありマスが、私はやはりプロフェッショナルな人の演奏を観たいし曲を聴きたい訳で、ライヴ・ハウスに通う理由も間違いなくそのためなのデス。
 
・・・ちなみに、プロフェッショナルかそうでないかと言うその線引きは、売れてるとか売れてないだとか・・・すなわち動員数や売り上げの量などでは全然なく、あくまでも音楽に対する態度や行動、それらの度合いで推し量るべきであると私は考えておりマス。
 
言うなれば音楽に限らず、「自分には、この人がそうしてる程にまで好きな対象物に人生を捧げる事は出来ない」・・・とさえ思わせてくれる様な人、それが私の考えるプロフェッショナルであると言う事なのデス。
 
よって、例えば私の様に手先が不器用な上に地道な努力を繰り返す事が苦手な人間が、「あ〜あ、自分もバンドでもやろうかな〜」なんて思ってしまう現在の状況(=プロフェッショナル不在あるいは不足の時代)と言うのは、絶対に良くない事だと思うのでありマス。
 
・・・そもそも私自身が、観客の立場では満足出来ない程に音楽を好きであり、しかしまたそれゆえに自分なんかが音楽をプレイしたりクリエイトする事は音楽に対する冒涜だと思ってしまう反面、観客の立場で甘んじる事では満足出来ず、なおかつ音楽から喜びを“もらってばかり”では申し訳ないゆえ、音楽に恩返しする事の出来る“支援者”と言う立場を選んだ訳なのデスから・・・。
 
そう・・・。「音楽を好き」って事は、音楽から喜びなり何かをもらい続ける事ではないはず。
 
考えてみて下サイ。そりゃ、いつもお菓子をくれるオジサンや、いつもバッグを買ってくれるオジサンの事は「好き」でしょうよ。だけどそれはあくまでも自分に喜びなり利益をもたらしてくれるゆえにであり、その際に用いられる「好き」とは、“自立していない人”が抱く「好き」と言う感情ではないかと私は思うのでありマス。
 
自立している人としていない人・・・。子供と大人と言う言い方をすると勘違いをする人が多いので、あまり使いたくないのデスが、簡単に説明すれば、“もらってばかり”で、“与えようとしない”人の「好き」は、子供が考える「好き」であり、自立していない(少なくとも対象物と対等もしくはそれ以上の立場になろうとしない)人の「好き」でありましょう。
 
例えば、「子供が生まれて親になって初めて大人としての自覚が芽生えた」と言う話を良く聞きマスが、まさにそれ。親と言うものは(極一部の利己的なけだものを除き)、自分の子供の事を何より第一に考え、子供が病気にでもなろうものなら心配でいてもたってもいられず、いつだって子供が幸せになってくれる事だけを願い、時には自分の命を犠牲にしたりもするものであるはず・・・。
 
そしてそれこそが、自立している人間が抱く本当の意味での「好き」と言う事ではないでしょうか?・・・と。
 
ゆえに、「音楽を好き」であると言う事は、いつも音楽の事を第一に、そして大事に考え、自分のエネルギーや人生の大半をそこにつぎ込む事、それ以外には考えられないのデス。
 
「○○が好き」「○○は楽しい」「○○はカッコ良い」・・・。そんな事ばかり考えてる様では、とうてい「音楽を好き」とは・・・否、“自立している人”が考える「音楽を好き」であるとは言い難いでしょう。

また、自立すると言う事は自分以外のものに対する“依存度”を低くする事でもありマス。・・・とは言っても、もちろん既成の楽器や既存の和音等は用いている訳ではありマスが・・・。しかしやはりそこに自分なりの何かをプラスしなければ。そもそもオリジナリティの確立とは、既存のものから何かをマイナスする事ではなくプラスする事・・・すなわち改良して行く事だと私は思いマス。現在主流の“ミクスチャー”なんて、本来は全面に打ち出すべき自己の価値観と言う裸の姿を押し隠すために、ただただ上っ面の衣装をとっかえひっかえして余計に見えなくしているに過ぎマセン。

私は自立したかった。そして、「音楽を好き」な事を表明かつ証明したかった。かと言って、音楽をプレイしたりクリエイトする才能はない。そう考えたからこそ先にも述べた通り、私は観客(もらってばかり)の立場では満足出来ず、音楽に恩返しする事の出来る“支援者”の立場を選んだのでありマス。
 
・・・とは言え、本音を言えば観客(=消費者)の立場に甘んじていれば良かったとも思いマス。欲しい時に欲しいものを買ったり、好きな時に好きなものを自由に観に行けるし・・・。
 
しかし実際には、ライヴ・ハウスで言えば1500円〜2500円(+ドリンク代)の入場料は確かに安くはないかも知れない。でもそれはある種、何人かの客がワリカンする(あるいは足りない分を出演者自身が店に支払う)から成り立っている価格であり、実際は1回のライヴを行うためにミュージシャンなりバンドが費やしている経費はもちろんその時間や労力たるや、そんな安いコストではないはずなのデス。
 
それゆえに私は、音楽に過大なる情熱や労力を注ぐミュージシャンはもちろん、損な役回りばかりの裏方である支援者やスタッフ、観客の立場であっても宣伝や撮影や録音その他でミュージシャンに協力している準スタッフ的な人、そして更に単に観客であってもライヴを観るために毎回実際に足を運ぶ様な自立した音楽好きの人達に共感・・・さらには尊敬の感情さえ覚えるのでありマス。
 
現代は、「観客が舞台に立てる時代」。・・・否、「自立していない音楽好きな人でも人前で音楽を演れる時代」。
 
それが良い事なのか悪い事なのか?
 
「音楽は人のこころを動かし、人の人生さえをも左右するもの。」・・・だった時代は確かにありマシタよね。
 
最後に・・・。今回も偉そうな事ばかり申しマシタが、音楽の事を自分の実の娘の様に大事に思っていれば、その結婚相手を選ぶ際にうるさい事を言うのは当然でありましょうから、その点、平にご容赦をば・・・。m(_)m

(つづく)

その18
http://dotheindepend.jugem.jp/?eid=27

「イベント企画・運営者(その5分の1)の独り言」その18

<緊急告知>「コンピレーション盤における誤植/収録楽曲間違いについてのお詫びとお願い」

ご迷惑をおかけして申し訳ありマセンです。先日完成したコンピレーション盤「DO THE INDEPENDENCE!!」において、誤植や楽曲の収録間違い等が発生しておりマス。只今、イベント・スタッフの側では、少なくとも東京でのイベントで正誤表を配布すべく訂正個所の情報収集を行っておりマス。よって、間違いにお気づきになった方は、是非とも訂正すべき個所をお教え下サイませ。なお、参加アーティスト様ご本人であれば、製作者から直接事情を説明させマスので、当方までお名前をお知らせ下サイ。あるいは一般の購入者様であれば、やはり直接もしくはお買上げになったアーティスト様を通して製作者から事情を説明させマスので、当方までご連絡下サイますよう、何卒ヨロシクお願いイタシマス。m(_)m

erectrecord●joy.ocn.ne.jp(←●を@に変えて)
 
-------------------------------------------------------
 
さて、ここからが本題。
 
え〜おかげ様で、昨日から大阪を皮切りにコンピ発売記念イベントが行われているのでありマスが・・・。
 
ところで先日、今回のイベントについて、とある友人から突然「これってどんなイベント?」と聞かれた際に、この(私にとっては)大掛かりな企画を、どうやって一言で言い表そうかと思案した後、瞬間的に私の脳裏に閃いたのが、以下の返答であった。
 
「う〜ん、三島由紀夫の切腹みたいなもんかな?それをこの業界の裏方である自主レーベルのオーナー5名でやるみたいな・・・。」
 
これは我ながら、今回のイベントの性質を良く表していると思う。
 
・・・とは言え、三島由紀夫を持ち出すとは、自分達の事をあまりにも美化し過ぎではないか?との意見もありましょう。
 
ならば、こう言い直そう。「これは、三島の切腹を無名人がやるみたいなもの。」・・・と。
 
ほら、たまにいるでしょ?鉄塔のてっぺんとかに登っちゃって怒られてる人騒がせなオッサンって。
 
その点、三島由紀夫は小説家で文化人で有名人だから、たとえそれが単なる愚行に過ぎなかったとしても長年に渡って語り継がれるし、何か深い意味があったのだろうと世間が勝手に権威付けしてくれるけどね。
 
ただ、三島由紀夫のみならず、鉄塔のてっぺんに登っちゃうようなオッサンにせよ、本人にしてみれば本当に切実なる思いや危機感があって、それを世の中に訴えたかったからこそ、あの様な暴挙とも呼べる行動を起こしたんじゃないかって、私は思うのデス。
 
だけど残念な事に、そんな思いって世間には通じないんだよね。
 
何故ならば要するに、実際には誰も困ってなんかいないし、危機感なんか抱いてない・・・って事。
 
・・・と言うか、むしろ恩恵を受けてる訳だから。
 
そもそも、現在の世の中のシステムや、現存する物質や音楽で満足出来る様であれば、大人しくお客サン(消費者)やってりゃ良い訳でさ。
 
更に、こんな身も蓋もない事言うのも何なんだけど、インディペンデント(自主独立)精神なんて、急に芽生えるもんでもないしね。
 
ある人にはあるけど、ない人はないままに一生を終える事だって充分考えられるって事。
 
それはあの派遣村の人達見りゃ一目瞭然で、リストラされず雇われて働いてる人だって、ある一定の要求をクリア出来る能力があったか、たまたま運が良かったに過ぎなくて、基本的に学校で教わる事(=国家の政策)なんかを真に受けて疑いもせず言われた事だけを正確にこなしたり覚える訓練を真面目にやってたら、自立心なんて絶対に芽生えようはずがないよ。
 
だから今回の様なイベントをやった所で(・・・ただそれは私達の力不足と知名度の少なさも関係してるんだろうけど・・・)、笛吹けど踊らずと言うか、少なくとも私個人としては結果的に借金の額をまた増やすだけの結末が待ってるだけでさ。
 
でもまあ、現状に不満があってそれを打開したいと思った場合、あるいは、今よりもっと楽しくなりたいと思った場合に、それを人任せになんか出来ない訳で、「それなら、自分でやるしかね〜か!!」・・・ってなると思うのね。
 
既に自立してる人は、言われるまでもなくその様に行動してるはずだし。
 
それに、その方が楽しいと思えるんだから仕方ないよね〜。
 
快楽ってのは自ら求めて得るもので、誰かから与えられるものでもなければ、苦悩や葛藤から逃れる事で得られるものでは絶対にないしね。
 
楽しくないこの世を楽しく・・・みたいな句?もあったよね。百人一首だっけ?
 
・・・って、良く知らないけどさ。
 
何にせよ、種子のない所に花は咲かないし、たとえ種子があっても芽が出る機会を逸してる場合もあるだろうし、たった一人でも、自分の力で何かを変えたいって思う人が出てくればそれでオッケーだし、そもそもパンク・ロックが担った役割って、まさにそれだったと思うしね。
 
人に“気づき”を与える・・・って言う。
 
・・・とまあ、そこまで大げさでも立派でもないイベントですけどね、仕事帰りにちょっと一杯、酒でもひっかけてくか・・・ぐらいの気持ちで立ち寄って頂ければありがたいデス。

もちろん、今回のイベントが、何がしかの問題提起くらいにはなれば嬉しいけどね。
 
ただし、決して強制などするつもりはゴザイマセン。あくまでも自分で考え、自主的に行動する事を私は望んでおりマスので。
 
ああしかし、自分で決めて自分でやるのって、ホント楽しい!!たとえその結果、自分に苦痛や負担がのしかかってこようと・・・。
 
誰かから一方的に与えられるだけってのもいやだし、あれしろこれしろっていちいち指図されたりするなんてもっての他。
 
生きるって事は、自らの意志と力によって、苦しさや楽しさ・・・その他色んな感情を、自分のこころと身体で思いっきり味わう事に尽きると思いマスよ。
 
それでは皆様、またどこかでお会いしましょう。
 
「DO THE INDEPENDENCE」!!
 
(第一部/完)

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